女装男子ミニ缶の性別哲学

女装男子ミニ缶の性別哲学

18年女装をしてきたミニ缶が性について語るブログ

英雄は女装男子だった!?三橋純子さん『女装と日本人』レビュー

どうもです!

ミニ缶です!

 

先日、三橋順子さんの『女装と日本人』という本を読んでめっちゃ面白かったので紹介します。

この本は「日本人っていうのはもともと女装に寛容であり、女装男子にとって日本は生きやすい国」ということについて、歴史的観点、宗教的観点、社会的観点から書かれています。

もちろん、三橋順子さんの生き様、価値観についても書かれているのですが、僕はこの本を読んで

日本のいつの時代でも女装文化というのは存在していた

という事実を知り、

女装することへの安心感

を感じて読んでよかったなと思いました。

また、昨今の日本社会の性に対する価値観は昔と比べるとLGBTに対する考え方、価値観が柔軟になって来ているのは、日本の女装文化の歴史が背景にあるからなんじゃないかという点でも非常に面白かったです。

 

今回の記事では、日本の女装文化の歴史、三橋順子さんの女装に対する価値観に対してレビューしていきますね。

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英雄は女装男子!?古事記の女装武勇伝

時は西暦500年ぐらい(詳細は不明)

景行天皇という奴がいて、その息子小碓尊(おうすのみこと)っていう奴がいるのですが、小碓尊(おうすのみこと)はのちのヤマトタケルっていう奴です。

中学生ぐらいの歴史の授業でなんとなく聞いたことがある方が多いかと思いますが、ヤマトタケルがどんな奴かを簡単に説明すると

という感じで、伝説上の英雄です。

この伝説のヤマトタケルなのですが、

刺客としてのデビューで女装してターゲット騙して言い寄り、ターゲットのケツに刀をぶっ刺して殺す

というとんでもない奴です笑

そのほかにも色々な武勇伝があるのですが、僕にとってこの話は衝撃すぎて他の話が霞んでしまうぐらいの事実でした。

そもそもの背景として、ヤマトタケルは父の景行天皇に命令されてターゲットである熊襲健兄弟を殺すことを命令されていくのですが、熊襲健(クマソタケル)兄弟が参加する宴会のコンパニヨン的な存在で女装して参加して、いい感じで熊襲健兄弟に言い寄って、隙をみて殺す、という計画だったらしいです。

そんな女装男子が男を騙せるのか?という疑問が浮かびますが、ヤマトタケルの女装は絶世の美少女だった古事記で表現されています。

しかも古事記ではそんな女装男子をかっこよく、美しく表現されていることから、女装というものに対する嫌悪感というものが全く感じられません

むしろ、素晴らしいものとして表現されています。

この価値観は、現代のものとは全く異なるもので、僕にとってめちゃめちゃ衝撃的でした!

「え!?女装ってそんなに昔からあって、しかも英雄として扱われていたの!?」

と、この本の中でも僕にとっては一番衝撃を受けた内容でした。

女装は神聖なる存在だった!?宗教的観点から見る女装の価値観

この頃の巫女さん(ユタ)っていうのは今も昔も変わらず、女性がメインの宗教的職能だったらしいのですが、その中でも強い霊力を持っていたのが、両性具有(男性器も女性器も持っていること)の巫女さんが特に霊力を持っているとして、崇められていたらしいです。

通常ではありえない性、両性具有を持った人は、その特異性からより神様に近い存在、尊いものとして扱われていたらしいです。

それも、人々に恐れられるぐらいに。

そういう背景もあってヤマトタケルの物語も英雄視されていたんじゃないかと僕は思います。

 

現代にはそういった両性具有などの性別な曖昧な存在を神聖視する風潮はないので、この時代の人々にとって大切な存在であり、支えになっていたという点で、僕たち現代人の未知の世界観で非常に知的好奇心をえぐられて面白かったです。

歌舞伎の女形は江戸時代のアイドル

時代が一気に江戸時代に飛びますが、それまでの経過はあまり面白くなかったので飛ばします。

歌舞伎っていうのは江戸時代から発祥したもので、現在にも受け継がれている文化ですよね。

その歌舞伎ですが、その中の女形

当時はアイドル的存在で、女性たちのファッションリーダーだった

らしいのです。

今じゃ全くもって考えられない文化ですよね!

女性のファッションは女性のもの、というのが現代の価値観ですから、女性が男性のファッションに憧れるなんていう文化は微塵もありません。

でも、当時は女性にとって憧れる存在で、女形のファッションを真似する事が美しい、かっこいいとされていたのです。

そして、当時の女形を演じる人たちは役に徹底するために、普段から女性の格好で過ごして生活をしていたそうです。

 

現在の歌舞伎だと女形の方でも普段を男性の格好をして過ごしていますが、当時はそこまで徹底していてプロ意識が全然違うなと感じさせられました。

しかも、女性の役に徹するあまり、男なのに自分に生理が来たと勘違いする事もあったそうです。

もうここまでくると、その女形の方は女性といっても過言ではないのではないかと思っちゃいますね笑

なぜ、女装は悪となってしまったのか

江戸時代ではアイドル的存在だった女装男子(歌舞伎の女形)ですが、明治時代に突入して一気に女装は変態であるという風潮に変わってしまいます。

なぜかというと、西洋の文化が導入されたからです。

西洋の文化は江戸時代で鎖国していた日本と比べて、非常に文化が発達していたので、西洋の文化を大量に取り入れて、世界の流行に乗りたかったんですね。

なので西洋に導入するようになってからは、日本は西洋の国々に

俺たちも西洋文化取り入れるから仲間に入れてくれよ

と誇示するために、西洋の価値観もたくさん導入しました。

 

その中には「異性装・同性愛は悪である」という価値観があり、そのせいで日本で初めて

異性装・同性愛を禁止する法律が策定

されることになってしまったのです。

これが全ての諸悪の根源です。

歳を召されている方で異性装・同性愛は悪であるという価値観を持っている方が多いのはここから来ているんですね。

日本は法治国家ですから法を重んじます。

法を破ったら罰則を受けてしまいますからね。

法律を破る=悪い事

女装する=悪い事

だから、この時代で異性装・同性愛は悪であるという価値観がすっかり植えつけられてしまい、それが現在に引きづられているんですね。

 

ここで、現代人の異性装・同性愛の価値観について考えてみると非常に面白いことに気づきました。

現代人の宗教観のイメージは下記のようになります。

  • 現代の年寄りは仏教・神道を重んじる
  • 現代の若者は宗教を重んじていない

でも、これを歴史的背景、社会的背景、宗教的背景を踏まえて考えてみると、

  • 現代の年寄りは仏教を重んじるイメージがあるが、そういった人こそキリスト文化の異性装・同性愛を嫌悪する思想を持っている
  • 現代の若者は宗教を重んじていないイメージがあるが、異性装・同性愛に寛容である点が仏教・神道の思想に沿っている

という感じで、年寄りの方が歪んだ宗教観を持ち合わせているおり、若者の方が本来の日本の仏教・神道の思想に沿っている、という点が非常に面白いです。

そもそもの話ですが、仏教において性というものはすごく柔軟で信仰者が男だろうが、女だろうが、オネエだろうが、ニューハーフだろうが、女装男子だろうが、男装女子だろうが、ゲイだろうが、レズビアンだろうが、バイセクシャルだろうが信仰してもオールオッケー。という思想を持っています。

それに、観音菩薩とかは、時と場合によって男にも女にもなりますからね笑

仏教で性に厳しいのは僧侶のみです。

一方でセクシャルマイノリティーはキリストでは神の怒りに触れてしまうので、異性装・同性愛はあかんのです。

 

僕個人の話ですが、僕の家系は結構仏教を大事にしていて、実家に帰省すると色々な催事に参加させられたりしているのですが、僕のじいさん、ばあさん、父さん、母さんに僕が女装をしているとカミングアウトしたら、多分大反対されるし、ショックを受けると思うんですよ。

おかしいですよね笑

自分たちの信じてる仏教だと異性装・同性愛的な表現は使われている事が多いのに、キリストの異性装・同性愛を悪とする考え方を信じているというwww

いかに自分の信じている宗教について勉強していないかという事を考えさせられますし、大衆心理の危うさというのもを感じました。

それでも僕たちは女装をしたかった

明治時代になり、女装というものは法律で抑圧されてしまったわけですが、女装文化というのは細々と続いていきます。

この頃から、女装は変態として扱われるようになるのですが、それでも女装をやめられないのが女装男子のサガです笑

この時代だとこっそりバレない女装をして街を出歩いたり、密かに需要があった女装風俗がこっそり存在していたりしていました。

でも、この時代において、女装は悪なので、女装して街を出歩いて警察に捕まったりと厳しい時代だったようです。

 

捕まるかもしれない。でも女装したい。それが自分なんだ。

 

そこまでして女装をするのは、そういった思いがあったからなのではないでしょうか。

このことから僕は、女装をしたい、などのジェンダー表現は人間にとって強い欲求なのではないかと思わずにはいられないです。

それなのにも関わらず、女装は悪であるという男と女を明確に区別するという考え方はナンセンスな思想なのではないかと僕は考えます。

捕まるリスクを承知の上で自己のジェンダーを表現し続けた人たちは、社会的にみれば変態なのかもしれませんが、僕は己を貫き続けたという点ですごくかっこいいなと思います。

戦後、多様に発展する女装文化

経緯についてはこの本ではうまく読み取れませんでしたが、戦後になると、ゲイバーや女装男子、性転換手術などのいわゆるトランスジェンダーの文化が徐々に活発になってきます。

これは僕の推察ですが、戦争に負け、政府の国民に対する抑圧も激減し、日本国憲法の発布で思想の自由、服装の自由が認められたからなのではないか?と考えます。

思想や服装が自由なら、女装も大丈夫じゃね?

そんな感じでしょうか。

 

見出しにもあるように、この頃から女装文化っていうのはどんどん多様化していきます。

  • ゲイバー
  • 男娼風俗
  • 女装バー
  • 性転換
  • etc.

本当に多様に発展していきます。

もちろん、その当時は世間的にも良くないイメージはあったようですが、男性、女性問わず、そういったトランスジェンダーの方が展開する接客業、サービス業に対して需要が少なからずあり、娯楽として楽しまれていたようです。

 

僕はゲイバーに一度だけいったことがありますが、すごく楽しかったですし、ゲイの方と話すのも楽しかったです。

僕の性対象は女性なので、自分の身を守るのには結構頑張りましたがwww

ゲイバーなどに行ったことがある方はわかるかと思いますが、いわゆるLGBTの方は一般的な男性、女性よりも苦労が多いせいか、心が豊かな方が多く、相手の事をちゃん思っている方が多いように思います。

だから、自分の辛いと思っていることとかをちゃんと聞いてくれる人に話を聞いてもらいたい、励ましてもらいたい。

そういったことは、今も昔も変わらず誰しもが求めていることだからこそ、トランスジェンダーの文化はなくならずに発展していったのではないかと僕は考えます。

三橋順子さん『女装と日本人』を読んで思うこと


女装っていうと社会からしたら異端であり、つまはじきされそうな存在ですが、日本では世界からしたら異様な宗教観で、女装に対して非常に寛容な思想を持っている国です。

 

女装男子にとってはパラダイスのような国です。

イスラム教、ヒンドゥー教とかでは女装したら捕まりますからねwww

間違ってもイスラム教、ヒンドゥー教を信仰している国で女装をしないように笑

 

日本が女装に対して寛容な文化でよかったなと本当に思いますね!

女装して詐欺メイクするのも楽しいし、可愛い服とかを着るのもすごく楽しいので、なんでこれが女性のものだけであるとされているのか甚だ疑問です。

 

僕の肌感覚ですが、比較的若い方は女装に対して寛容な価値観を持っているように思います。

特に女性の方の方が寛容な気がしますね。

僕の記事を読んでくれている人には女子大生の方もいらっしゃって、実際にその方と話したことがあるのですが、結構オープンな考え方をしているように感じました。

 

むしろ厄介なのが男性ですね。

これは日本に限った話ではありませんが、男には

  • 男は強くたくましくなければならない
  • 男は可愛いものを持つべきではない
  • 男は忍耐強くなければならない

などのどこぞの誰かが決めた良くわからない価値観を全うしなければならない風潮がありますので、周りにカミングアウトしたいと思うのであれば、まずは女性に相談するのが良いです。

 

 

僕はブログで大っぴらに女装してまーすと公言しているので、あえてカミングアウトするつもりはないが、バレてもいいや。というスタンスですが、大抵の人はバレたくないと思うので聞きたいことなどあれば、メールとかくれてもOKです。

minikan194(アットマーク)gmail.com

(スパムとかの関係上@マークは入れてませんので適宜変更してメールを送ってください。)

 

ここまで読んでいただきありがとうございます!

以上、ミニ缶でした!